無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

私は死んでしまったのだろうか

私はいない方がいい。そう言われた訳では無いけどそういう扱いは受けてきたと思う。被害妄想かもしれないけど、私はいつも無関心の的だった。私が頑張ったことには無関心だった。歳を経るにつれ両親の過干渉が酷くなった。私が何かを成し遂げたことには何も言わなかった。些細な言葉でも言われれば、私は少しは、、、なんて、考えても仕方ない。
私には両親はいないものになった。家族もいないことにした。私はひとりでいいと思い、戸籍上の家族と距離を置いて、今は平和に暮らしている。

時々思い出す家族は、私がいない所で皆幸せそうに笑ってるのだ。私の家族像とはそういうものだった。父から性的虐待を受けながら日々を送り離人と解離が起こってしまって、私は家族の生きてる日常から切り離されたのだ。そんな日々を送りながらも、私は家族のことを考えていた。父は私に性的虐待をすることで、何かを発散して、いつもの優しい寡黙な父親になれるのだと幼心で察した。私が泣かなければ、我儘を言わなければ、母親は困らないし悲しい顔をしないし怒らなかった。私が我慢すれば平和になれる、皆が笑ってくれると信じてた。

 

いつか、復讐したいと思ったいつかの私は同時に「もう誰も恨みたくない」と思ったんだよ。

 

もう恨んだところで何も帰ってこない。

私の心も、願いも、幸せだと思い込んだ思い出も、何も帰ってこないんだよ。

ひとつ知ってしまったら、知らなかった時の自分に戻れないのと同じなんだ。私は復讐心と両親は毒親であると、知ってしまった。どの思い出も、憎悪で塗りつぶされていった。たとえ過去の両親の愛が本物であろうと、犯した罪もつけた傷も消えるわけが無い。……どうして、私はこんな文章を書いてるのだろうか?
もう、誰も恨みたくなかった。けれど、負った傷は消えない。いくら治癒しようとしても、何も治ってない。その人達と距離を置いて、5年くらい経つ。いつまでも、自分の人生を謳歌できず、周りの幸福を見続け、抜け殻のような日々を過ごしている。私はどこで間違えたんだろうって、思うようになった。人の道に正解も不正解もない。けれど私に選択肢が与えられることなぞ無かった。私にはいつも選択肢が無かった。なのに、社会に出て世界を知った途端己の無知と壊れた価値観に笑ってしまった。自分とは違う幸せな家庭を見て私は絶望に近いものを感じた。同時に「うちは普通じゃないから」という父の口癖を思い出し、嗤った。心の底からくつくつと笑ってしまった。

 

間違いなんてものがあるのなら、それは私の心です。
不正解があるのなら、それは私の人生です。
心のエラーがあるのなら、それは私の殺人・破壊衝動です。

 

私は私を殺したい。殺めたい。 

何処へ飛んだらいいの。何処へ歩いたらいいの。誰も何も教えてくれなかった。誰も見てくれなかった。知りに行こうにも脚がボロボロでもう歩けない。私はやはりここでボロ雑巾のようになってるのがお似合い、ということだ。私は、私を、殺したい。人格的なものか、肉体的なものか、もうよく分からない。分からないんだ。どうでもいいんだ。

 

なんだか、長くなってしまったね。

生きる為に様々なことをしていても、私の腐った心は変わりません。変われないんです。

春の風に誘われて、その辺をフラフラして、綺麗な景色を探しに行きたい。矛盾してるね。

とりあえず生きることはやめないと思うから。ではね。