無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

消えることの出来ない灯

過去に縋るのはいいことではない。…果たして本当にそうだろうか?いや、良い場合と悪い場合があるのは確かだ。私は正直縋る過去もない。全て捨ててきた。だからこそ白紙の未来に怯えていた。何も無くて、第二の生を生きるのが嫌だった。最近はそうでもない、のかな。どうでもいいと思う半面前を向こうとしてる自分がいる。

近況報告をしよう。私の周りに静寂が訪れた。
急に、幻聴の類が全く聞こえなくなったのだ。昨日病院にいって、主治医に話した。急に包まれた静寂に、どう向き合ったらいいのか分からない、ということも伝えた。
「いい方向に向かっているのですから、静寂が訪れた理由は考えず、ある程度音(ノイズ)を流して生活してください。でないと人はダメになります」といったこと言われた。主治医は過去にあった実験で「人がどうしたら発狂するか」っていう話をしてくれたけど、正直いうとあまり覚えてない。主治医は頭がいい故に話が飛ぶから時々混乱する。というより、毎回そういった例を出してくれるけど、主治医はどう思ってるんだろうと時々思って、話を聞きそびれている。医者だから、自分の私情を混ぜず、主治医なりに人を救うのに必死なのだろうか。この前は哲学者の話をされた。そういう時は私なりに解釈して、聞き返す。分からなかったら分かるまで話をしてくれるのが主治医のいい所である。流す音は生活音でも、ラジオでも、音楽でも、何でもいいと言われた。あまり静寂と向き合いすぎてはいけない、という事だった。

主治医は私より大体二回りくらいの歳だ。いつかは先に逝ってしまわれるか、引退するか。時々そういったことを考える。でも間違いなく主治医の代わりはいない。「この人並の医者っているんだろうか。次にいい医者と巡り合えることはあるんだろうか」とどうでもいい不安を考えてしまう。考えるべきではない不安。それによく釘を刺される。目の前のことに必死になれと言われる。でも、いつも力いっぱい本気に生きることだけが全てではないと私は思うんだ。でも、毎日一生懸命生きて、目の前のことを大切にしろっていう言い分は痛いほど分かる。いや、最近ようやく分かるようになってきた。目の前の事に本気になって、はじめて自分の望んだ未来に繋がる。その未来は輝かしいものではないかもしれない。でも、まずは一歩でも踏み出す勇気を。そう思えるようになった。まあ、まだまだ暗い自分はいるけれど。

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また、未来の自分に語りかけてみよう。

未来の私へ。私は私なりに藻掻いてるけど、未来の貴方はそれを裏切っていませんか?まだ、描いていますか。描いて、描いて、描いていますか。自分のやりたいこと、諦めていませんか。今でも呪いと苦しみは続いてますか。
いつも思ってる通り、その時の「最善」を選び取ってください。主治医に言われたことを憶えていますか?取捨選択できないならランダムに決めてよしと言われたこと。私はやりたいことが多くても、取捨選択が出来ない。そういう障害であり、そこが魅力でもあるということ。主治医に「全てやりなさい」と笑顔でいわれて、間抜けな顔をして、またひとつ、肯定されてしまって、頑張っていること。
止まり木は貴方が探しに行くのです。何処へ飛ぼうと貴方の自由です。そこにいたいならそこにいて良いです。でも、貴方が私を裏切っていないなら、きっと、そこから見る景色は今と違うハズ。自分も誰も信じなくていい。やりたいことをやってしまいなさい。出来ることを知ってください。私からはそれだけです。
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はい、長くなってしまったな。午後から頑張ろうかね。今を生きている自分がやりたいことをやって、悔しいと嘆いているであろう自分を蹴飛ばす為に。