無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

衝動と願望に蝕まれる

19日に記録していたものを残しておく。
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5月ももう、今日で19日。
なんだか、早いような、遅いような、よく分からない感覚で日々を過ごしている。自粛ムードのせいですっかり鬱。正確にはただ疲れただけではあるけど。外に出る自由があってこそのひきこもり、というタイプなんだと実感した。
今日は夜中の2時半から友達と作業通話をしていた。朝の5時半に切り上げて、ベッドに入って二時間くらい寝た。作業の進捗はまあまあ。でもどこかで心がふわふわしてる自分がいた。
最近ずっと、自分は何がしたいのか考えている。僕は創作がしたい。絵や漫画を描きたいし、文字だって綴りたくて、アート方面のこともしたい。アート方面とは油絵の事だけど、恐らく描くものは変わらない気がする。自分の根底部分はそうそう変わらない。変われないんだよ。思い続けている思考嗜好の数々、描きたいものを思い出しながらそう強く思う。環境が変化しても、描くものが変わっても、自分の根底のモノは変わってない。それは例えば些細な表現を大切にしたいという気持ちだったり、譲れない拘りだったりする。
よく何者にもなれず、という事を歌う人はこの世界に沢山いるだろう。僕自身も思う。僕は僕でしかなく、誰かには成れない。けど何かにはなりたい。
僕は救済者になれなかった。けどそれはそれで良かったと思う。上京して10代20代前半で救済者になりたい人を腐る程見てきた。幸い手を伸ばしてくれた人がいた。時には金銭的に助けてもらった事もある。オフ会も何度も参加した。生きてきた中で別れもあった。そういう積み重ねがあって、今生きてる。生きてきた。
自分が生まれたことは間違いだった、んだよ。でも、たとえ僕の命の誕生が祝福されていようとも、生まれた理由が両親のエゴや願いだったとしても、今はもうどうでもいい。僕は生まれてしまったを悔やみたくない。間違いではあったのは確かだ。僕の居ない世界が正しいんだ。けど、もう嘆くのに疲れてしまった。沢山嘆いた。沢山憂いて自分を傷つけて、ボロボロになった。その姿が正解で相応しいのだと、今でも思ってしまう時はある。今だって思うよ。だから自傷をやめられずにいる。
昨日、雨と低気圧のせいで自傷した古傷がやけに痛かった。その傷跡たちは、自分が生きる為のものであった。そう、自分を傷つけながらも、僕は生きることを諦めなかった。その執念に近い努力が今返ってきてる。だから、頑張れるならこれからも諦めたくない。
 
別の話をすると、僕は元恋人と友達関係に戻った。今ではもう付き合う前みたいに仲が良くて、いざという時頼れるし助けたい間柄にまでなった。その人と別れて4,5年は経った。別れてから今日まで縁を切らなかった、互いの最後の執着。それでも最近は互いに付き合っていた事を笑い話に出来るようにさえなったのだ。互いに互いの幸せを願ってるから、僕は自分の幸せを探してる。まぁ、創作に打ち込めることが、今の幸せではあるんだけど。
 
死ぬってなんだろうな。生きるってなんだろうかと問われれば、煙草が美味いことだと今は言う。来年、数年後には変わってる事を願う。
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これが19日に書いたもの。こんな事を残していたのか。よく覚えていない。
寝れたら寝よう。