無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

眠たい世界を見つめ続けて

その虹彩は何を捉えているだろうか。


どうもこんにちは。
前回言っていた約束は継続する形になりました。
友達も解離持ちで、他の人格同士の方が冷静に話せるし、互いに無駄な傷付けあいをして精神を乱さない方がいいということで他の人格に任せました。彼と彼が長い話し合いをしてくれて、結論が出ました。知れたこともあります。

苦しみが続いているのは自分だけではないということ。
あの約束があるから、彼の主人格、つまり僕の元恋人はそれでやっと冷静になれるということ。
お互いにまだ傷が癒えてない事を知ったのです。あの頃を笑い合えるようになったのは、その約束を守り続けてきて、人間関係が修復されていっているからだと。
後に人格づてでそれを知り、知ることはこんなにも難しかったのかと思いました。

自分はいわゆるボダ持ちでした。今もそれが尾を引いていたり、突然感情が爆発することがあります。その癖というか、刃が出てしまったのだなという結論に落ち着きました。約束を守り続けていくことに不安を持った、らしいです。とりあえずそれで完結。約束は継続していきます。



その後「灰が自殺すれば、あなたたちは解放されるのではないか」と問うたそうで、「灰が自殺したらそれは呪いにしかならないよ」と言われました。


それを聞いて、生きるって難しいな。どうしてそんなに友達でいてくれようとしてくれるのか、分からなくなり、ただ別人格の報告を心の中で復唱するだけでした。
どうして、どうしてと、思うばかりで。
前回綴ったと同様に、僕が誰かを大切にして想う様に、僕も誰かに想われている、大切にしてくれている人がいる。正直それだけで死にたくなった時もあります。「僕なんか、僕なんか、僕なんか」って、自己を否定し続けていました。


まだ、僕は僕を許せないし好きになれない。


最近はそれをぼーっと考え、希死念慮が隣にいて、そのまま生活しています。僕の受け皿はとっくに壊れてて、ただ、浴び続けるしかないのです。さんざん自問自答した結論です。
死ななくていい。でも生きなくてはならない。
けれど胸に秘めるものは各々自由で抱えてるものも言わなきゃわからず、只見目で何かの尺度を付けたくないし、知ろうとすることしようと強く思いました。

僕は人生にも人の世の物事にも身の回りの人間関係にも頓着がない。だから、怒るべき場所は怒れないし、冷静に第三者目線から何かしら言える。そういう人間なので。直す気はありませんがもう少し目線を自分の目線に近づけようと思います。