無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

自分の心の警鐘に耳を傾けて

こんばんは。久しぶり。
7月中旬からひとり、自分の家に帰ってきて生活をしている。お金はないけど、ギリギリ生きられるから友人宅を出た。ひとりの生活は割と快適である。自分はずっと自分の為に生きてなくて、それをしようと決心できたからこうして動けるのか、と思ったけど、実際どうなのかわからない。
もしこれで死ねるならそれでいいって思ったんだ。ただ、純粋に何も考えず、生きても死んでも、これ以上は友達に迷惑かけられないと、腹を括った。
ガスが止まったままなので、今日は冷たいシャワーを浴びた。でもそれでも自分は間違いなく自分らしかった。そこには、ちゃんと自分がいた。冷たいシャワーといってもぬるい水程度だったので気にしなかった。外は暑いしちょうどよかったけど、暑さにはなれなくて最終的にクーラーをつけた。
とは言っても、昨日の、いつだろうか。昨日のちょっとした時間から今日の14時までは他の人格で過ごした。どうやら私が表に出過ぎていて、疲れているのに自覚がないと、記憶を管理してる人格に指摘された。実際その通りで、中(裏)で休み他の人格に代わって過ごしてもらったら、大分心が楽になった。よくよく考えれば、友人宅にいる間もほぼ私だった。ずっと私でいることは出来ていたけど、それで自分の精神を削っていることには気づけなかった。同じ体なのに、本当、解離性障害は不思議なものだなと思った。

どう頑張っても、自分は自分でしかない。未だに自分が大嫌いで憎くて仕方がない。なのに、自分の為に生きる行為を成そうとしている。それだけで吐きそうだ。どうやったら自分を愛せるんだ。自分を大切にするということ、それは自分にとって楽になれる道を選択するということ。なら、早く死ねばいいのでは?とか思っちゃったりして午後を過ごした。
絵を描くことはやめてない。やめてないけど、PCで描く道具はまだ友人宅にあるので、しばらくアナログで描いている。楽しいから、生きていけるんだなって思った。やはり自分は捌け口だろうと好きなものだろうと、描くことはやめられない。
最近は、友達に怒られたり喧嘩したり、色々あった。
友達に、応援された。喧嘩だったけど友達は言った。

「絵が好きなら、もっと、突き詰めろよ。もっと描けよ。もっと熱を込めろよ」

この言葉を聞いて、自分の頭が弾けて呪縛の鎖が解けた気がした。

「ああ、私、頑張っていいのか。もう、頑張るしかないのか。もっと、頑張っていいのか」

何度目かの確認作業。友達は頷いてくれた。心の中で、どこかしら諦観している自分がいたことに気づいた。諦観して、仕方ないからって逃げている自分がいた。
それに気づいて、それまでの自分の行動を恥じた。
それを言われる前、なんだか、もう創作出来なくて、病気にも障害にも振り回されて嫌になっていた。もう本当に、何もかも嫌だった。何もかも何かのせいにして自分の人生完結したかった。

それでも、もう、それをしなくていいんだって、気づいた時には、作業を再開して描いていた。そして、イベントのこと、未来の事を考えた。自分は未だ何になりたいのか分からない。プロになりたいわけでもない。でも自分の絵で稼げるようになりたいと思ってる。稼げなくてもいい、少しでも、創作して発信したいと思うようになった。

まだ私は、死ななくていいですかね
もう少し、あとちょっと、あと半歩、1cmでも先にって、望んでいいんですか
自分、生きていいですか
いつか、自分を認められるようになれますか
分からないけど、分からないけど 

 

今日はここまで。長々となってしまった。読んでくれてありがとう。