無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

傷ついてはじめて気づくこと

暑い。とにかく暑い。
ジリジリと現実が私を責めてくる。どんどん私は置いてけぼりになる。そんな思考、捨てたいだけなのだけど、うまくいかない。
好きな音楽聴いて、いつも通りなハズな日常は、もうすぐ終わる。今私は友達の家にいる。来月から自分の家に帰る。徐々に帰る日数を増やして、最終的には帰る。これを今までなあなあにしてきた。しかし、気づかない内に、お互いに見えないストレスが溜まってたみたいで、話し合いをした。
生きてるだけでも、とっても苦しい。ひとりで歩いていけるのか不安になった。友達に癇癪っていうか、ボダみたいなのが起こりそうになって抑えた。叫びたいのを抑えた。医者に相談したら「依存傾向が出るのは悪い事じゃありません。けれど自分の身の振り方と周りの事考えましょうね」と言われた。一緒にいるなら依存傾向は出るもんですよって。つまり情が湧くってやつなのか。
でもまあ、お互いの為にならないって分かったのなら、それなりに生きるしかないわけで。前向きに捉えようと思う。「いい加減自立しろ―ばーか」って、自分でも思ってる。

友達に助けてもらう前は、自分の事になると途端にどうでもよくなって、絵の事ばかり考えて、ろくなものを食べずに過ごしてた。それでも良かったけどある日絵が描けなくなって、鬱で動けなくなった所を助けてもらった。感謝してる。

自分の為ってなんだろうね。
こんな歳になっても生きることに何も見出せなくて、でも生きる活動はしなくてはいけない。
例えば普段から生活している身の回りの事とか。そういう小さい事ですら生きている実感に繋がって嫌になる。自分の為ってなんだろう。自分が嫌いなのに、どうやって自分を抱きしめたらいいんだ。
私はまだ、諦めてない。描くことも、生きることも。ペンを折れずにいるし、なんだかんだこうして這いずり回っている。

現在お昼。何もせずとも時間は進む。
ゆっくり生きよう。