無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

視えない先

昔のブログが残ってて眺めてたけど、思い出せないことが多かった。

曖昧な記憶。辿っても、2年くらい前に統合した「彼」のことを憶えていない。もしかしたら、今サブ人格になっている彼とのコトなのだろうか?
私は、解離は理解されなくてもいいと思う。でも、解離を理由に好き勝手やらかして責任転嫁する界隈が好きではない。昔やられたこともあるから本音を言うなら嫌い。
どれだけ責任を他人格に押し付けたって、体はひとつ。責任は取らなければならない。無かったことには出来ない。そういう人達と同じになりたくなくて、だから「彼」と無理矢理統合しようとした、という事。表面上ではそういう事実はある。でも、憶えてないんだよな。

なんだかんだ、私が生きた証があれど、どれもこれも「灰」という人間ではない。気がする。一時の借りの人格というか、表向き用の自分が形成され、それを通して私は外を見ている。そして、身を守る行為なら、記憶の管理人格に記憶がいって、整理をする。ということ?
考えても分からない。記憶を管理してくれている人格はすべてお見通しなのだろうか?
以前、医者から「あなたは記憶することを怖がっている」と言われたことがあった。それが関係するのか?体の名前が困らない程度に、記憶がバラバラなのはそういったこと?今度、医者に再び聞いてみるかな。

生きてて、1枚カーテンのような、膜のような、視えない何かが隔たっている感覚がある。なにをやっても他人事。心が奮えれば奮える程、離人が起こる。解離も起こる。それは発達障害のせいもあるって言われた。心的外傷のせいもある。
それが無くなるかは分からないけど、「感動したこと、心が動かされたこと」を繰り返していけばいい。そう言われてる。

 

本当、もっとうまく生きたいよ。