無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

刻まれたモノ

昔ついったーアカウントでとある人と繋がった。その人は私が辛い時にこっそり話しかけてくれて、話を聞いてくれた。仲良かった方だと思う。しばらくして、その人は急に消えてしまった。アカウントを消した。今はどうしているかも分からない。
他にも、急にアカウントを消してしまった人たちがいる。どの人も、そのアカウントにいるのが嫌になったのだろうか。答えは分からない。どうしたらいいかもわからない。好きだったと、伝えても結局は消えてしまう。そういう時だってある。仕方ない。私だってアカウントを消すことくらいなかったわけではない。でも、その多数の中で、忘れられない人がいた。中には分かり合えなくて喧嘩別れした人もいる。

私は今、大切な人たちにきちんとこの気持ちを伝えられているだろうか。私は「好き」は分かっても、「愛」がよく分からない。いや、分かっても、それを素直に言葉に出来ない。大切な人というのは、主に今交友関係にある人たちのこと。その人と、これから先どう関わっていけばいいか、分からない。
離れたらいいのか、傍観すべきか。なんとなくで繋がった縁。話しかけたくとも、言葉が出てこない。ただ「やっほー、生きてる?死にたい?はは、そうだね、死にたいね。今日も生きたじゃん。それだけでもすごいよ」って、笑い合いたいだけなのに。

外は今日も晴れている。4時ごろから起きてるけど、朝方は寒くてうまく手が動かせなかった。
私は今、自分の生きたいように生きられているだろうか?
私は今、大切な人たちを「大切な人」として認識できているだろうか?

 他にも、答えが出ない問いをいつまでも投げ続ける。その行為に、果たして意味はあるんだろうか?
「やってみなきゃわからない」って前向きに歩き始めたはいいけど、もう既に布団にくるまってひたすら寝ていたい。
私のこの頑張りを頑張りと認めるには、結果を出さなくちゃいけない。じゃないと、いつまでも先が視えないまま。それは、嫌だと、感じている。他人事だけど。

答えが出るのをずっと怖がっていた。努力することに怯えていた。失敗が怖かった。成功するのも怖かった。いい方向に転がっても、悪い方向に転がっても、私は、「変わってしまうこと」が怖かった。
私はいままで何に怯えているかすら分からなかった。いつも、パニック発作と同じように、「怖い」っていう気持ちで頭の中がいっぱいになって、自分がしたかったことすら恐怖で上書きされてしまって、とても苦しかった。
「何もしない選択」を選ぶのも、「何も出来ない無力な自分」を感じるのも、とても辛かった。
もっと、生きやすい人間になりたい。