無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

ゆきたまえ、だうなーにんげん

さっき更新したのにまた更新してすまない。どうも、ダウナー系人間です。

今日は夜中の3時に起きて4時頃から友達と通話しながら作業をしてた。疲れてベッドに寝転がって、雑談しながら、ゲーム、久しぶりにやってみた。楽しかった、楽しかったよ。それだけを記録したかった。
今日は3時間半しか寝てない。けれど構わず朝の薬のコンサータを飲んだよ。正直に話すとコンサータ飲んでも寝れる時は寝れちゃうし、それより脳が覚醒せずぼーっとした頭で苦しむのが嫌なんだ。インチュニブを処方されて1ヶ月位経ったかな。経過はいい方だと思う。日中そんなに眠くないし、何より視界が広がる感じがした。主治医曰く集中力を上げてくれるらしく、そしてこの薬は副作用で眠くなる。だから夜に飲んでるのだけれど、上手い具合に働いてくれてる訳だ。良かった。

アカウントを変えてから、一人称がまたバラバラになった。けどそれも自分であることには変わりない。それでいいやと思った。

ああ、でもさすがに少し疲れたから、少し横になろう。
それでは。

備忘録と

昨日書いたものをここに残しておこうと思う。

お久しぶりですみなみなさま。
ついったーの「灰」というアカウントを消しました。
正確にはアカウント移行なのだけど。自分でもどうしてそうしてしまったのかよく分からない。突然、そのアカウントに愛着も執着もなくなって捨てたくなったのです。
新しいアカウントで繋がった人はまたよろしくお願いします。そして新しくつながってくれた人もよろしくお願いします。
とりあえず生きてます、大丈夫です。
最近世間は暗いけど、僕自身はそれなりに、相変わらず創作をして日々を過ごしています。本当は外に出たいけど、自粛を余儀なくされてるので引きこもっています。


最近の話をしましょう。
「お前は少し外に目を向けて、娯楽というものを楽しめよ」と副人格である彼に言われた。創作でのインプットも少ないからってのもあるけど、ゲームとかはストレス発散にもなるのだから、少しはそういうのをしろ、と。
彼が言うことは正しい。彼は正直でいつも正論しか言わない。嘘を吐かない。しかし自分に娯楽を消費する資格があるとは思えないのだ。頭がおかしいくらいにその結論が自分にふさわしいと感じているのだ。
人間にはある程度の刺激は必要なのは分かってはいるが、どうにも、それをすると余計疲れてしまう。今はそれをやる気力もない。出来るなら死体のように安らかに眠っていたい。

しかし、気持ちが溢れる。
創作したいと内なる声が溢れてくる。
ふと思う。遠くの未来のことを考える。僕は、どこまで往けば満足できるだろうか?
以前にも話したが主治医に「満足するまでやりなさい」と言われて、自分の価値範囲や許容範囲、満足とは、何なのだろうと考えている。


最近生活が変化した。
3月から自立生活援助という枠組みにいる精神保健福祉士さんに自宅に訪問してもらい生活の自立を目指そうということをやっている。ヘルパーを頼もうとした時にまずは問題を見つけましょうと、その提案があって、その話に乗った。福祉士さんには週一で来てもらっている。
福祉士さんとの関係は良好。悪くない。いい人だと感じる。出来ないこと、やりたくない事、その他問題を正直に話すと雑談を混じえながらそれを解決する為に様々な事を話してくれる。
しかし先週と今週は休みにしてもらった。あまりにも人と触れすぎて、疲れてしまった。
横になりながら、本当に自分は何も出来ないなぁと思ってる。今日は歯医者に行き午後から夕方の16時過ぎまでずっと作業をしていたのに。それでも「何も出来ないなぁ」と思うのだ。

疲れたけど、何かはしたくて、こうして文字を打っている。これから先の事が不安でたまらない。創作はしていくが、イベントが軒並みに中止になっていってるので主催やスタッフの事も心配である。自分は何が出来るだろうか。自分は何がしたいのだろうか。それをよく考えるようになった。やりたいことは大量にある。自分は欲が無いわけじゃない。

どうしたらいいのかな。

私は死んでしまったのだろうか

私はいない方がいい。そう言われた訳では無いけどそういう扱いは受けてきたと思う。被害妄想かもしれないけど、私はいつも無関心の的だった。私が頑張ったことには無関心だった。歳を経るにつれ両親の過干渉が酷くなった。私が何かを成し遂げたことには何も言わなかった。些細な言葉でも言われれば、私は少しは、、、なんて、考えても仕方ない。
私には両親はいないものになった。家族もいないことにした。私はひとりでいいと思い、戸籍上の家族と距離を置いて、今は平和に暮らしている。

時々思い出す家族は、私がいない所で皆幸せそうに笑ってるのだ。私の家族像とはそういうものだった。父から性的虐待を受けながら日々を送り離人と解離が起こってしまって、私は家族の生きてる日常から切り離されたのだ。そんな日々を送りながらも、私は家族のことを考えていた。父は私に性的虐待をすることで、何かを発散して、いつもの優しい寡黙な父親になれるのだと幼心で察した。私が泣かなければ、我儘を言わなければ、母親は困らないし悲しい顔をしないし怒らなかった。私が我慢すれば平和になれる、皆が笑ってくれると信じてた。

 

いつか、復讐したいと思ったいつかの私は同時に「もう誰も恨みたくない」と思ったんだよ。

 

もう恨んだところで何も帰ってこない。

私の心も、願いも、幸せだと思い込んだ思い出も、何も帰ってこないんだよ。

ひとつ知ってしまったら、知らなかった時の自分に戻れないのと同じなんだ。私は復讐心と両親は毒親であると、知ってしまった。どの思い出も、憎悪で塗りつぶされていった。たとえ過去の両親の愛が本物であろうと、犯した罪もつけた傷も消えるわけが無い。……どうして、私はこんな文章を書いてるのだろうか?
もう、誰も恨みたくなかった。けれど、負った傷は消えない。いくら治癒しようとしても、何も治ってない。その人達と距離を置いて、5年くらい経つ。いつまでも、自分の人生を謳歌できず、周りの幸福を見続け、抜け殻のような日々を過ごしている。私はどこで間違えたんだろうって、思うようになった。人の道に正解も不正解もない。けれど私に選択肢が与えられることなぞ無かった。私にはいつも選択肢が無かった。なのに、社会に出て世界を知った途端己の無知と壊れた価値観に笑ってしまった。自分とは違う幸せな家庭を見て私は絶望に近いものを感じた。同時に「うちは普通じゃないから」という父の口癖を思い出し、嗤った。心の底からくつくつと笑ってしまった。

 

間違いなんてものがあるのなら、それは私の心です。
不正解があるのなら、それは私の人生です。
心のエラーがあるのなら、それは私の殺人・破壊衝動です。

 

私は私を殺したい。殺めたい。 

何処へ飛んだらいいの。何処へ歩いたらいいの。誰も何も教えてくれなかった。誰も見てくれなかった。知りに行こうにも脚がボロボロでもう歩けない。私はやはりここでボロ雑巾のようになってるのがお似合い、ということだ。私は、私を、殺したい。人格的なものか、肉体的なものか、もうよく分からない。分からないんだ。どうでもいいんだ。

 

なんだか、長くなってしまったね。

生きる為に様々なことをしていても、私の腐った心は変わりません。変われないんです。

春の風に誘われて、その辺をフラフラして、綺麗な景色を探しに行きたい。矛盾してるね。

とりあえず生きることはやめないと思うから。ではね。

死生交差

先日、ついったーで一瞬トレンドになったのかな。あまり覚えてない。先日に自殺と自殺配信の事が話題になった。
それを知ってから、苦しくて苦しくて、胸のつかえがとれずにいる。沢山の意見が色んなところで飛び交う中、私は何も言えなかった。言葉が出なかった。自分の言葉を探したけれど、見つからなかった。只々その死を見つめていた。
自殺配信の事は、私は賛成とも反対とも言えない。その答えはすごく簡単で、下手をすれば自分もそちら側の人間になっていたからだ。ありえない話ではなかった。私が高校生の頃、配信アプリが無かったのもひとつの手助けだったかもしれない。自殺配信の話題を知って、時代の流れを感じた。ああ、こういう死に方もあるのかと思ってしまった。
彼女の環境や人柄をネットごしに知り、正直、境遇が似ていた彼女と自分を重ねてしまった。家族から虐げられる苦しみも、父親から受ける暴力屈辱の数々によってどれだけ自分が壊されたか、私は知ってしまっている。私は、私は”たまたま生き延びた”だけだった。彼女はあちら側へ飛んでしまった。
共感に似たこの感情をどうしたらいいか分からない。世間では自殺の善悪が問われる。「人に迷惑をかけるな」という人は山ほどいる。自殺配信をして世間にようやくスポットを当てられ彼女の苦しみに気づいた人々は、何を思うだろう。
私は、そこまで彼女を追い込んだ家族、特に父親がどうなったのか、少し気になった。その人には何か伝わったのだろうか。

本音は、彼女がそこまでしないと誰の目にも触れられなかったことが哀しかった。そこまでしないといけなかったのか、そればかり考えていた。もう彼女が死んでしまった今では、何も意味を成さない。

まぁ、これでどれだけ言葉を並べても、私が負った苦しみを誰かが完全に理解することは出来ないのと同じように、彼女の苦しみは、誰にも真に理解されることはない。只想像する事しか出来ないし、結局、私にできたのは彼女の死を見つめ続ける事だけだった。人は様々な事を目に入れる取捨選択の自由がある。目に入れたくなければ見なくていいのだ。それだけは確かなんだ。だから目を背けたい人は背けていい。

さっき書いた通り、私は自殺と自殺配信に関しては何も言えない。ずるいかもしれないけれど、それが答え。…出来るなら、しない方がいい。けれど彼らの叫びを否定することは出来ない。誰かに迷惑をかけて、誰かのトラウマと成りうる事も脳裏に浮かべて、彼らは自殺の一歩を踏み出す。そういう人達がいた事も、今現在苦しんでいる人がいる事も、目を背けずにいたいと思う。勿論自分が大丈夫な範囲で。


ふと自分の過去を思い返してみる。私自身が殺人にも自殺にも至らなかったのは、ある意味執念のようなものが働いていたからかもしれない。とある掲示板に家庭環境の相談を持ち掛けた。罪を犯してでも、復讐をしたいと、夜中に泣きながら打ち込んだのを覚えてる。そこの掲示板の人たちには「お前には未来がある。それを潰すような事をして己の人生を捨てるな」と言われ、それがひとつの道筋になった。復讐に駆られた心落ち着かせ、視界が広がる感覚がして、「自分はあの家から逃げていい」「どこかに行ける」と思うようになってからは、馬鹿な頭で適当ながらも、実家から離れている大学に進学した。これを言ってしまうとあれなのだけど、幸い自分には罪を犯そうとする手を止めてくれる友人もいたんだった。家に帰れない自分を受け入れてくれたり、只無気力な自分に選択肢を与えてくれた。

そういう事を思い返すと、自殺手前の人やアダルトチルドレンと呼ばれる生存者に、何かしらの支援してくれる人が必要なんだと思う。これは当たり前な結論。当事者にとっては明日も見えない状態だと、それを思考する余裕もなく、諦めてしまう人もいる。生き延びた私でさえ未だ自分を大切にする方法が分からない。

話が逸れたりよく分からなくなってしまった。

――――――

これが、先日私が残したブログであった。
私は未だ、死に手招きをされて、「いい加減目を覚ませよ」と言われている。どんなに手を伸ばそうとしても、掴めないものも、届かないものもあって、その場で嗚咽だけが響いて、苦しみに苛まれるしかない。
私は自殺も殺人もすすめるつもりもない。
私は、あれから何も思考が出来ない。いくら思考してもその人の死を変えることは出来ない。どうか彼女があちら側では自由を手に入れられたことを願おう。

思考が巡るが結局終着点は同じ

しばらく、何も手につかない日を過ごしている。自分は働けない身ではあるけれど、やりたいことは多い。しかし体調が一向に善くならない。最近ロクに寝れない。正直、いつ寝たのか記憶にない。事実としては昨日は4時間程度しか寝ていない。ずっと気分が沈みこんでる。なんか自分の感情、人格、自意識、全て曖昧になっていく。
ベッドに沈みこむように、意識が落ちてくような感覚を味わうけど、完全に意識を落とせるという事ではなかった。
他の人格に代わるという事も最近うまくできず、今の僕は随分とボロボロなのは理解している。他人格に頼って良いのは分かる。
しかし先日衝撃的な事が起こった。それ以来代われずにいる。

それは僕自身が自分の記憶を失くしてしまうという事だった。自分の事も、他の人格の存在も、分からなくなってしまった。何かに喰われたかの様に、思い出せなくなった。幸い他の人格とはコンタクトは取れて、表面上の、他者から見たこの身の名前から、人格の名前、今の現状を、ゆっくり頭の中でなぞった。

なんていうのかな。

記憶はあれど自分が自分じゃなかった。灰というひとつの人格である感覚を取り戻せずにいた。忘れてしまった事を思い出す為に、かろうじて覚えてる友人に助けを求め、数時間通話を繋いでもらって、いつもの様に会話をした。そこで会話を交わしてる内に自分がどんな人間だったのか、身の回りの事を、徐々に思い出せた。


目覚めたら知らない部屋にいて、知らない、よく分からない、何も知らない、あの忘れてしまった状態の事を、今でも覚えている。一体あれはなんだったのか?
記憶が飛ぶきっかけは特になかった。前日他人格が泥の様に睡眠に浸かり、僕で目を覚ましだけ。

思い出せないけど、何か、何かを過去に置いていき何かと離別したのかもしれない、と思いはした。それが一番納得のいく答えだった。現にまだうすぼんやりしている。記憶全てが戻ったわけでもなく、困らない程度に戻った、というくらい。自分の感覚が気持ち悪いくらいに、今までの自分との人格の「整合性」を持てなかった。同じ人間だと思えなかった。解離と離人が起こってるという事に納得し、普段の生活を取り戻そうと必死になった。今はなんとか落ち着いてる。

まぁ、今は正直眠気と闘うのに精いっぱいで、あまり思考が出来ずにいる。
今もまだ眠い。眠すぎるけど、寝れずに一日過ごす。ちょっとこれは地獄では?と半笑いした。いや、笑えない。

とりあえずそんな事があったという生存報告でした。
感覚を取り戻せるよう、他の人格ともコンタクトを取って過ごそうと思う。