無造作に

眠りにつくまで、話をしよう

無題である事こそが難題

タイトルもテーマもなく只只「白紙」であるのは、様々な可能性があり、同時に無知で幼く絶望に近しいものだと思う。

唐突に死にたくなった。
仕方ないと諦めた。死にたいのは通常運転。
なんだか、またどうでもいいことに悩まされる。一人称とか、性別とか、誰かを求める事とか。
私はいなくていい。それが正解だっただろ。なのにどうして顔をあげて体を動かしてしまったんだろう。もうこれ以上動けないって分かってたハズなのに。己の可能性を狭めてるのは承知の上だ。部屋で目を覚ました私はまた死にたい惰性の時間を過ごして、朝を迎える。今日は病院の日である。正直行きたくない。主治医と何を話せばいいのか分からない。

もう本当にいい加減にして欲しいけど、どうにも、動けないんだ。負の感情を振り切って歩けずにいる。煙や霧の中を歩かされる気分だ。前も後ろも右も左も分からない。けれどそれでも歩きなさいと周囲から叩かれる。実際は叩かれてない。けれど些細な言葉が私を刺してくる。
ふいについったーを辞めたいと思った。灰というアカウントを捨てるのではなく、しばしの間頭を休める為に色々見るのをやめたいのだ。出来たらやるけど、灰のアカウントは続けるよ。

ネットを見てると色んな人がいて楽しいし、心が楽になれた。声をかけてくれた事や、関わってきた人の事を思い出す。でも同時に自分は何処にも居なかったように思えた。ネットに浸透し過ぎて、自分の意見が消えていってる気がした。
疲れただけなのかな。分からない。

自分は、何処にいるんだろうね。だめだ、眠い。
今日はとりあえずここまで。寝れたらおやすみ。

このまま、このまま

私は無力だろうか?

その問の答えは分かるはずもない。分からない、分からないんだ。ここ数日、作業も何もしない日を続けてしまっていて、そんな自分にイラついていた。出来ないのか、しないのか、私は分からなくて更にイラついていた。私はTwitterがないと生きれない。交流ある人はほんのひと握りだけど、ネットは私の日常の一部になってる。高校の頃からそう。でも、何もしない事を選んでるのは間違いなく自分だ。変わろうとする事は悪でも罪でも何でもない。過去傷ついた自分を労りたいのか、私は惰性や怠惰の様な日々をを繰り返す。こんな私は無力なのか?

無力と思いたいのは私自身じゃないのか?無力と思って、勝手に諦めて、前を向いて生きたくないだけじゃないのか?

そんな事を思った。実際は正解だろうな。これを書いてて思った。答えは出た。

2月にイベントがあったけど、それは参加しない事に決めた。体調を崩して原稿どころではなかったからだ。休むと決めてから、最初に言っていた問答を繰り返していた。体調の悪さと〆切の板挟みとなり、苦しかった。熱が出て何も出来ない日があった。その時にも頭の中でひとりで問答をしていた。そうして、現在。今は何とか体調も良くなってきてて、少し机に向かえそう。頑張ろう。頑張ろう。

 

またしても、ここで未来の自分に言葉を送ろう。

ハロー、未来の自分さま。貴方なんて顔してるんですか。そんなに死にたいなら勝手に死になさい。惰性と怠惰は時々やるから良いのであって、それを繰り返したら、あっという間に歳をとるよ。ちゃんと、"今"を生きてよ。主治医にも言われたでしょう?今をしっかり生きなさいって。私達が幸せの道を見つけるには、殺された感覚を取り戻すにはそれしか無いんだよ。タバコでも吸ってめんどくさいと言いながらも、その場の勢いや生きてる感覚を楽しんで生きていた事を覚えてますか?そんな感じでいいんですよ。生きてりゃいいよ。頑張ってね。

 

と、いう、ね。ああ、眠いな。

幸せの欠片を探そう。生きるしかないから。

そんな感じ。ではでは。

みれない夢

未だに大人になれない
酒はほとんど飲まないけど煙草は吸うようになったし、親の元を離れられた。色んな決定権も持ってる。でも、それが何だっていうんだ。
どんなに祈っても願っても、私の求めてたものは無い。勝手に諦めてた。誰にも期待してない。自分にも明日にも。誰彼構わず睨んでいた頃よりかは丸くなったと思う。いや、そういう問題ではないけれど。
遠くから見えた家の明かりみたいな、そんな淡い光さえ、持ってない。

思考して胸からボタボタと溢れて床に垂れていく憂いや渇きた痛み。それを冷たい目で眺めてる。自分の傷を見ながら、どこかで安堵してる。それはいわば自傷なのだと、主治医に言われた。
自分を傷つけて、その痛みに安心を得て、それに依存しているんだと。このどうしようもない思考と否定の繰り返し。もう苦しくて、しんどいけれど、やめられないと話した。
自傷行為のメリットを知り、メリットの方向性を変えていくしかないです。そのメリットが何なのかは、”貴方”にしか分かりません」
そう、言われて診察は終わった。そこからずっと考えていた。いや、考えてるフリして鬱に浸ってたかったのが本音。けれどもう現実ではそうも言ってられない。必死に思考したけど、結局は自己肯定感の低さを自覚するばかり。
誰かに自分を認めてもらいたい。分かってもらいたい。「がんばったね」「そのままでいい」って、誰かに言われたかった自分がいた。けれど、それがあったとしても今度はそれに依存しそうでそれはダメだと思った。
周囲の価値判断ばかり求めてて、自分の中の物差しがないという事も気づいたけど「そもそも自分の存在を自分で許してないから物差しもクソもねーよ」って毒づいてしまった。自分の心は曇っていく一方だ。

自分、どうしたらいいんですかね。

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写真は年末に古くから付き合いのある友人とお茶した時の。
皆頑張ってるけれど、私はどう頑張ったらいいんだろう。そんな事ばかり考えてしまうよ。

孤独

「自分は死ねばよかった」
こんな文章腐る程見てきた。自分の中にも生み出してきた。そろそろ消えて欲しい。どうして私はこんなにひとりで苦しんでるんだろう。どんなに叫んでもどんなに泣いても結局歩き出して結果を出さないといけない。それは変わりない。それしか道が無い。もう疲れた。私頑張って歩いたつもりだよ。でも次がやって来る。どうしたらいいんだよ。苦しいのが取れないよ。ああ、ねむい。寝よう。
おやすみ。
いつかの花の香りを胸に抱いて、そうして独りで死のうと決めたのです。私は誰のものでもない。私の人生は私のもの。私の命は私のもの。そのハズだよね。
消えたいというか、苦しい病から逃れたい。だから安定剤を飲んだ。
最近氷食症が復活して氷を食べずにはいられない。口の中が傷だらけ。
ひたすら自分を痛めつけていたい。昨日はカミソリで腕を傷つけた。でも満足できなかった。自分は何を求めているのか分からない。いくら自分を肯定しても、自分を否定しても、苦しいのはとれない。楽になれない。逃げられない。死んでもきっと続くんだなと思うと、気持ち悪くなってきた。
傷つけたいし傷つきたい。ぐちゃぐちゃにされたい。絶望よりひどい虚無。なんだこれ。めんどくさ。吐き気がする。吐きたいけど吐くものが無い。

知らない人に暴力を振るわれ、でもそれは幻覚で実際は優しい人たちが私の為に色々と動いてくれて、助けてくれたっていうオチの夢をみた。優しいくらいに残酷な夢だ。私の周りにそんな人物はいない。私を愛してくれる人はいるかもしれないけど愛されたいワケじゃない。唯一が欲しかったけど今ではもう分からない。分からないっていう回答が増えていく。私がいなければこんなコトならなかった。

こういう時誰にヘルプサインを出したらいいか分からない。誰に言っても何も変われない気がする。相手は困るだろうし何より自分が面倒なのだ、現在友達とチャットを送り合っているが向こうの相談がメインなので私は何も言わない。いう必要ない。
私の中で誰にも話さなかった物事。知らないことは良い事でもあると思う。それだけ隠したかったんだろう。嘘を本物にしたかったんだろう。こうやって誰にも読まれてないブログを続けるのに何か意味あるのか?幸せになんてなれない。私は、もう、終われない事を嘆くのをいい加減辞めるべきではないか。

信じる事、疑いの目を向けないのは楽だ。盲信的になるというわけではないが、私は信じていたかった。そうして疑いたくなかった。私は虚無で出来ていて、悲しいほどに愚かだと思う。あ、特に何か遭ったわけじゃないです。死んだら楽になれるっていう保証が欲しい。誰かに選択権を委ねたかった。
何もかもめんどくさい。何もかもどうでもいい。どうでも良くないハズなのに、自分のことになるとどうでもいい。自分はどうでもいいのは誰かを傷つけていることかもしれないが、それで私の鬱が癒えるワケじゃない。何も得られない。腹の足しにも、心の薬にもなりやしないんだ。消えたい。色んな叫びがせめぎ合う。消えられたら、少しくらい後悔できるかな。

寝れたら寝よう。本当、本当に。

連鎖、結び糸、ほつれていく

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写真は10月にフォロワーさんとタピったもの。タピオカを侮っていました。
最近はヨルシカ、神山羊、ずっと真夜中でいいのに、にハマってます。今は神山さんの「CUT」という曲を聴いてる。この人は有機酸というボカロPで活動しているころから好きだ。他にもいっぱいスキなアーティストがいます。音楽が無いと死ぬっていえるくらいには、音楽に浸かっている。その人の世界観に溺れたい。そこに自分はいなくていい。ずっとずっと、浸っていたいのだ。


話を変えよう。ひとりは色んな事に気づくことが出来る。いいや、気づかざる得ない。と私は考える。君の居ない冬。ひとりで過ごすであろうクリスマスが近づいている。他の皆はどうだろう。貴方はどうですか?クリスマス誰かと寄り添えますか?なんて、どうでもいいことを書き記す。

私は、ひとりになって色んな事に気づけた。でも、まだまだ君の面影が消えてくれない。
私はまだ、君を忘れられないよ。
一生君を忘れないよ。君が忘れても、笑い合えても、喧嘩しても、友達でも、君が好きだったこと、依存だったかもしれないけど、深く深く愛していたこと。今となっては何処が好きだったか思い出せないけどさ、あえていうなら全部好きだったんだよ。はじめて私を肯定してくれたのは君だったんだ。あの日の夜中に君の家からみた満月。地元の桜たち。全て全て、胸に抱いて生きていくよ。大丈夫だって、君も思っているでしょう。
私はまだ大丈夫じゃないけど、きっといつかは大丈夫になるから、友達でいるから、これだけは勝手に思わせて。この先、誰かを好きになっても君のことは忘れないから、今でも、親愛の意味で愛しているから、どうか、幸せになれるよう祈ってる。

なんて、ね。その分、私は自分の幸せを見つけなくてはいけない。それが君の願いだから。そして、互いに想っているからこそ。大切だったけど、それだけじゃいられなかった。ありがとう。本当に、本当に、愛していました。

時々、他の人格の事で泣いてしまう。他の人格同士で、付き合ってたかは知らないけども、慕い合っていた人格がいたのだ。悪友のような関係だった。彼らは幸せだっただろうか。彼は私の決めたことを受け入れると言ってくれた。相手の人格も同じだった。全ては主人格の私達に決定権があると、それに従う。そう言ってくれた。何故泣いてしまうかというと、たまに感情が流れてきて、流されそうになるのだ。そしてそれは過去の感情であって今の感情ではないよと、宥めてくれる。「縁を繋げなくてごめんなさい」と私は言ってしまう。主人格の座にいない彼は、今の私が全ての答えだと、言ってくれた。
「君が決めたことが僕ら他人格の総意。全ては君の自由で、僕等に縛られてはいけない。往きたい場所に飛んで、止まり木と蜜を探して、苦しんで、生きてね」と言われた。うん、大体だけどそんなことを言われた。適当でごめん。長いからあまりよく覚えてないんだ。

私は、ひとりで歩けるのだろうか。
また私は、誰かを愛せるのだろうか。
分からないことばかりだ。

来年は、自分の好きなコトを仕事に結び付ける事、自分と向き合う事、それから、何かしらの縁を捜しに往こうと思う。そういう年にしたい。
私は、いつか、胸をはって生きれるかな。


と、いうわけで今日のブログはここまで。みなさま方、良い日を過ごしてね。